2019年10月27日日曜日

「ヨガ」という言葉に騙される人たちへ

おはこんばんにちは、宮森です。
先日、長野県上田市にてHIROKI君とヨガイベントを開催させていただきました。
集合写真。今度は東京でやります。
集合写真。今度は東京でやります。

彼とのイベントは3回?4回?になりますが、毎回呼んでいただいて感謝です。
イベントにご参加いただく方の中には、もはや常連の方もいらっしゃいますし、初参加の方もいらっしゃって、1シーズンに1回くらいの開催ですが、感謝しかありません(僕の貢献度はなく、HIROKI君の人望の為せる業です)。

さて、私は諸事情があって今回は前日に前乗りをしまして、そこでヨガをやっていない方とお話をすることがありました。
その中で私も感じていた部分ではあったのですが、その方曰く「ヨガをやろう!と言われても、やる気にはならない」とのことでした。

このブログをお読みの方には、どっぷりヨガを実践している方もいらっしゃるでしょうし、私のようにそこそこでライトにやっている方もいらっしゃるでしょう(私はライトというより捻くれた目で見ています)。また、特にヨガには興味がないけど、なんとなく通知が来たから記事を読んでいる、という方もいらっしゃるかもしれません。

正直なところ、私もHIROKI君も「ヨガ」という言葉を「借りて」、ヨガイベントを開催していますが、ヨガをやっていれば全ていいよ、とは思っていません。
あくまで何か、自分の体を整える1つの手法としてヨガというものがある、と捉えています。
そのため、手放しでヨガを讃美もしないし、批判もしませんが、少し捻くれた目でみる部分はあります。

そこで、本日はそんな「捻くれた者から見たヨガ」といった感じで記事を書こうと思います。


「ヨガ」ってどんなイメージ?

ところで、これをお読みのあなたは、「ヨガ」と聞いて、どんなイメージがありますか?
ヨガといえば…柔軟性?
ヨガといえば…呼吸?
ヨガといえば…菜食?
ヨガといえば…瞑想?
ヨガといえば…哲学?(スピリチュアルな感じ)
ヨガといえば…片岡鶴太郎さん?
とにかく柔軟性が高いイメージはあるかと。
とにかく柔軟性が高いイメージはあるかと。

どれも正解だと思います。
このことから、私が思うのは「ヨガ」という言葉が包括するイメージが広範囲に及んでいて、聞き手それぞれのイメージで「ヨガ」を連想しているということです。

だからこそ、マットの上で行うポーズ(専門的にはAsanaと言って、本来は坐法という意味)を見て「体が柔らかくないとできないんでしょ?」と言う方もいますし、「なんか呼吸めっちゃしてるよね」とか「肉食わないんでしょ?宗教?」とか「なんか怪しいよね〜」とか「内臓あんなぐっちゃんぐっちゃんに動くの?」とか、いろいろおっしゃる方がいるのです。

こういった発言が良いとか悪いとかはなく、興味を持ったら何らかの形でヨガに取り組むことでしょう。
ただ、何となく興味があるのにイメージが先行してそれがブレーキをかけているのだとしたら、それはもったいないなとは思います。
讃美も否定もしないと言いましたが、それでもヨガをすることで得られる恩恵というものは確実にあります。
では、そもそも「ヨガ」って何なのでしょうか?


「ヨガ」って何だ?
ヨガってなんでしょう?
ヨガってなんでしょう?
ヨガの知識がない方や興味がない方には雑学的なお話になりますが、Wikipediaによると「古代インド発祥の伝統的な宗教的行法で、心身を鍛錬によって制御し、精神を統一して古代インドの人生究極の目標である輪廻からの「解脱(モークシャ)」に至ろうとするものである」とあります。
更に語源としては、「『馬にくびきをつけて車につなぐ』という意味のユジュから派生した名詞で、『結びつける』という意味もある。つまり語源的に見ると、牛馬を御するように心身を制御するということを示唆しており、『くびき』を意味する英語yokeと同根である」ともあります。

ここまでで何となく「体とか心を整えるものなのだろう」という印象や「やっぱり宗教の修行法なんだな」という風に認識できると思います。

実際にはヨガにはさまざまな教典があって、そこに哲学・教えが書いてあり、その中で日々の生活上の行いや、坐法、呼吸、瞑想などについて書かれています。
そのため、マットの上でいろいろなポーズを取ることだけがヨガじゃないですし、呼吸を深めることだけがヨガじゃないですし、食事も、瞑想も、その実践だけがヨガじゃないのです。
日々の生活と、その延長線上にあるものすべてがヨガなんです。

だからこそ、「ヨガ」と聞いていろいろなイメージが個人個人によってあるのは当たり前ですよね。
では、「ヨガ」をやるとどうなるのか?何が目的なのか?という点について書いていきます。


「ヨガ」の目的って?
ヨガのゴールとは…
ヨガのゴールとは…
ヨガの目的は実は先に書いていて、輪廻からの「解脱(モークシャ)」です。
つまり、ヨガの世界では輪廻転生が前提にあります(信じるかどうかは別として)。
こうなると、宗教的な観点になりますが(宗教が良い悪いではありません)、ヨガの教典の1つであるヨーガ・スートラには「心の作用の止滅」と書かれています。

「止滅」と聞くと「何も考えないってこと?」と私は最初にイメージしたのですが、そうではありません。
私の解釈ではありますが「物事をありのままに見る」というのが「止滅」という言葉の意味のようです。

そもそもほとんどの人は、自身の過去の経験やその時々の感情、思考の癖などから物事を自分の都合で解釈して見てしまいがちです。
ある出来事がAさんにとっては大したことでないことでも、Bさんにとっては大事件だったりしますよね。
ものすごく単純な例で言えば、ポジティブ思考とネガティブ思考のようなものでしょうか。

ポジティブ思考でも何か失敗することもあるでしょうし、ネガティブ思考でも功を奏することはあるでしょう。
つまりはこういったことも含めて「物事には良いも悪いもないよね。なんかむしろ、全部良いんじゃない?愛おしくない?」と言うのがヨガ的な考え方であり、生き方であり、目的なのかもしれません(私の解釈です)。

さて、ここまでヨガの概要・輪郭を書いてきましたが、ここからもうだけ、私の視点でヨガと人の体についてのことを書こうと思います(むしろここからが本題)(ここまでで2000文字越え)。


ヨガをやると何が良いのか?
ヨガで得られるメリットとは
ヨガで得られるメリットとは
そもそも私がヨガと会ったのは「たまたま」です。
治療技術を学びに行ったセミナーでヨガに出会い、それを続けているだけです。
ここでは、いわゆるヨガのポーズと体について書いていきますので、ヨガを1つのボディワークと捉えて、哲学や食事などのお話は極力しないでいきます。

さて、ヨガというと同じポーズを長く取るので静的ストレッチな要素があると思いきや、結構アクティブに動くものもあるので動的ストレッチや筋力トレーニング的な要素があったりとさまざまなものがあります。
ほとんどの現代人の生活では動かさないであろう可動域まで全身の関節を動かしますし、日常生活ではあり得ないポーズを取るので、体も柔軟になるし、筋力もある程度ついてくると思います。
少なくとも自重をコントロールできるくらいの筋力はつくと思います(というかそれをやっているので)。

おそらく、正しくやっていれば生きているうちは肉体・精神ともに健康でいられるでしょう(ただ健康には食事などが関わる要素が多分にあるので一概には言えませんが)。
これがほとんどの方が得たいメリットでしょうし、ヨガに限らず、さまざまなボディワークや健康法の目指すところだと思います。

ところで健康ってどうやれば得られるのでしょうか?


人体の反応と健康について
健康はどうしたら手に入るのか
健康はどうしたら手に入るのか
人体の構造・仕組みは複雑怪奇でまだまだわかっていないこともあります。
ただ、私は俯瞰して考えれば、とてもシンプルだと思っています(ここからが重要ポイント、テストに出ます)。

体が病的な状態にないという前提で考えた場合、人体は何らかの刺激を受けると次のような4パターンの反応を示すと私が考えています。
以下、刺激の強弱 → 人体の反応(例)です。


  • 強すぎる刺激 → 壊れる(骨折や肉離れなどの怪我)
  • 少し強い刺激 → 強くなる(筋トレ後の筋肥大など)
  • 強くも弱くもない適度な刺激 → 現状維持
  • 弱い刺激や刺激がない → 弱くなる(筋萎縮など)

この刺激の強弱は絶対的なものでなく、個人差がありますし、個人の中でもその時々で変化します。
こういった視点を持つと、自分にとって必要な(それはもちろん目的による)刺激とはどの程度なのか?ということを考えるヒントになると思います。
そして考えることも大事ですが、それを感じられる状態にあることも大事だと思います。

細かいことは生理学の本に書いてあるので勉強をするとして、俯瞰してみるとやはり体はシンプルなようです。


人体の反応とヨガとの関係
まとめに入ります
話をまとめに入ります
私の好きなヨガインストラクターさんに看護師の方がいます。
その方のクラスを受けているときによく耳にして、とても私の腑に落ちた言葉がありました。

「ご自身のキャパシティに合わせて、ポーズを取るようにしてください」
この言葉はヨガに限った話ではないかもしれませんが、ボディワークとしての真髄だと思います。

キャパシティはその時々で変化します。
ボディワークを継続すれば、柔軟性や筋力は基本的には向上し、キャパシティは向上するでしょう。
ただ、その日の体調によって、本来あるキャパシティよりも限界値が下がることがあります。
いつもの感じでやったらできないから、ちょっと負荷を下げてみよう…のように、今の自分の状態を感じ取りながら行うのがヨガのポーズ(Asana)なんだなと学べたのがとても嬉しかったのを今でも覚えています。

そもそも普通に暮らしていたら、自分のキャパシティなんてものを意識することはほぼないでしょう(肉体的にも精神的にも)。
だからこそ、どこかを痛めたりするのでしょうし、気付いたらどんどん弱くなっていたりするのでしょう。

それでも、ヨガ(に限らずちゃんと自分と向き合う何か)をしていれば、自身のキャパシティを把握する練習をすることができます。
それができるようになると「もうちょっと鍛えようかな」と思えば、自分のキャパシティの容量ギリギリまで負荷を調整できますし、その逆も然りです。

私はこういった意味で、自分自身のチェックだとかコンディショニングや身体能力の向上という意味でヨガを継続していますし、それが今の私が思うヨガの恩恵です。


みんなヨガをやってみると良い
「やってみる」というのは良いと思います。食わず嫌いよりは。
「やってみる」というのは良いと思います。食わず嫌いよりは。
実際はヨガをやっていると怪我をする人がいますし、私もそれを経験した1人でもあります。
それは大抵、自身のキャパシティを感じ取れていなかったり、周りの人に合わせようとしていたりするのが理由です(他には知識がないとかもありますが)。

ただ、こういった理由で怪我をするのは、ヨガをやっているのにヨガ的ではない思考や行動があるためであり、本当の意味でヨガのポーズをやっているときって自分のことに夢中になるから、周りなんて気にしていられなくなります。
もう必死。
こんなに自分に夢中になることなんてないですよ(自分大好きって感じ)。
だから「体が硬いからできない」という言葉は、全然ヨガじゃないです(いや、ヨガをやってないから当然なんですが)。

体が硬くたって良いじゃない。
そんな自分も素敵じゃない?
これまでの人生と、それに付き合ってきてくれた体を愛していこうぜ。
って、そんな感じになれるのがヨガだと思います(宮森個人の意見です)。
私は捻くれた目でヨガを見ているので、ヨガじゃなくてもなんでも良いと思いますが、自分と向き合って自分を知るために、ヨガってのは良いツールだと思います。

「ヨガ」って言葉から連想するイメージに騙されないで、みんなヨガをやってみると良いと思います。

そう、大事なのは「やってみる」という点。
いつでもチャレンジってワクワクするから良いものです。

4600文字ごえ!
最後までお読みいただき、ありがとうございました!

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