2020年1月19日日曜日

YOGA哲学を疑ってみた

ごきげんよう。宮森です。


最近はちょっと体の勉強をさぼっていて、全然違う方面の勉強をしています。
体もろくに動かしてないので硬い硬い…。


いい加減ひと段落させて、再スタートしたいところです。
その中の一つとして少し短めの記事を書いてみようと思います。



宮森のYOGAに対するスタンス

YOGAには哲学というものがあります。


これは哲学の道。京都行きたい。
これは哲学の道。京都行きたい。


私自身はYOGA哲学についてはスクールで学んだ範囲と、ちょろっと自分で書籍を読んだくらいの知識しかないのですが、本当のことかどうかはともかく好きか嫌いかで言ったら好きです。


ただ、ひねくれていますので疑ってはいます。


仮に、私の知っている範囲のYOGA哲学を生活に落とし込んで生きることができたら、きっと世界は平和でしょう。
私の知っている、私の目から見た人間性の素晴らしい人は、YOGAを知っていてもいなくてもYOGA的な生き方をしているように思います。
アメリカの霊能者であるエドガー・ケイシーも「この世の理に最も近く表しているのはYOGAである」という旨の発言をしていたとかいないとか。


「じゃあそれでいいじゃない、宮森さん」とお思いかもしれませんが、もうちょっとだけお付き合いください。



YOGA哲学について

YOGAの教科書とも言われる聖典の中にYoga Sutras of Patanjaliというものがあります。


たぶん、なんかこんな感じの聖典
たぶん、なんかこんな感じの聖典


その中に、YOGAの目的は【心の作用の止滅】と書かれています。
“止滅”というのは、「何も考えない」ということではなく、「物事をありのままにみる」ということなのだそうです。


これはよく色眼鏡で例えられます。

最初、私はわからなかったんですけど伝わるでしょうか。
最初、私はわからなかったんですけど伝わるでしょうか。


同じ景色をみていても、色眼鏡をかければ違った景色のようにみえます。
それと同じように、ほとんどの日常の出来事を人は自分の色眼鏡でみているのだそうです。
見た目は子供、頭脳は大人の名探偵さんが「真実はいつもひとつ!」とのたまっていますが、事実は1つですが真実は人の数だけあるので色眼鏡で彼は世界をみている可能性が非常に高いです。

小学生のくせにサッカーボールで大人を吹き飛ばす彼です。
小学生のくせにサッカーボールで大人を吹き飛ばす彼です。


ちょっと話が脱線しましたが、YOGAではこういった色眼鏡を外そうということをしているのです。
私自身、こういった考え方・物事の見方は好きですし、色眼鏡をはずして世界をみることができたら素敵だろうな、と思います。


ただ、私は「YOGAの哲学自体が本当に色眼鏡をかけていないのか?」と疑っているのです。



宮森がYOGA哲学を疑う理由

YOGA哲学を疑う最大の理由は食事です。
これは違う視点で前回記事にしました。

前回の記事はこちらをタップ!
前回の記事はこちらをタップ!


YOGAでは伝統的に菜食主義、究極はヴィーガンを推奨しているようです。
私自身の経験、友人の様子、そして科学的にもですが、ヴィーガンで健康体である方は見たことがありません。
何となくのイメージは繰り返しになりますが前回の記事をお読みいただければお分かりいただけると思います。


ヴィーガンを推奨している理由としては、おそらくはahimsaだと思われます。
ahimsaは「非暴力」とか「傷つけない」と訳されていますが、aは接頭語で否定を表し、himsaは元来、殺生を意味していますので、非殺生という意味です。

インド国内でも戦争があったのでしょうからね。
インド国内でも戦争があったのでしょうからね。


ちなみにインドが独立する際にマハトマ・ガンディーが非暴力を唱えましたが、元々はこのahimsaからきているようです。

彼もいろいろな噂が絶えない人物ですが。
彼もいろいろな噂が絶えない人物ですが。


さて、動物性食品を摂るということは、その動物の命を奪うということになります。
これがahimsaに反するため、ヴィーガンが推奨されているのではないかと私は考えています(本当のところは知らんけど)。


私はYOGAの実践者が、あくまでYOGAの世界観・哲学の中で食事を語るのは良いと思うのですが、「ヴィーガンが正解である」とか「動物性食品は人の体には合わない」と言った主張をしている人がいるとすれば、それこそ色眼鏡なのではないかと思うのです。

それって色眼鏡じゃね?
それって色眼鏡じゃね?


植物に意思があるかどうかは別として、命があることは明白です。
植物も動物も究極の目的は種の保存ですから、植物にも雌蕊・雄蕊があって受粉などの繁殖の過程があるのです。
それを考えれば、ヴィーガンであってもahimsaは犯しているはずです。


教え自体が論理的に破綻している時点で、そこにはナニモノかの意志が介在しているとしか思えません。
それがヒトなのか、それ以外の存在なのかは分かりませんが、意志が介在しているのだとすれば、それは十分に色眼鏡をかけて世界をみているのではないか、と私は思うのです。
※YOGA哲学を否定しているわけではありません。

YOGA哲学は一体、誰によってつむがれたものなのか…?
YOGA哲学は一体、誰によってつむがれたものなのか…?


他の視点で考えてみると、植物を食べていた方が、多くの人が救われるというデータもあります。
例えば、1頭の牛で生命をつなぐことができる人の数より、その牛を育てるまでに牛が食べた植物を人間が食べた方が多くの人の生命をつなぐことができます。

私は牛でも豚でも鳥でも食べますが。
私は牛でも豚でも鳥でも食べますが。


なので、この視点では菜食主義は(健康であるかは別として)子孫繁栄には合目的であると思いますが、その反面で禁欲(Brahmacharya)を推奨しています。
この禁欲は性欲的な欲求のみを禁止しているわけではないのですが、性欲という点に着目するならば、子孫を残さないことにつながりますので食事との整合性が取れません(輪廻転生からの解脱を目指す上では合目的かもしれませんが)。

考え方ですが、性欲も必要だからあると思いますし。
考え方ですが、性欲も必要だからあると思いますし。


食物連鎖を考えた場合、究極は太陽の光が全ての生命の源なので、光合成で生きていけるようになればahimsaに関してはクリアできますが、まず現段階では不可能です。
不飲不食の方々(呼吸だけで生きているのでbreatharianと呼ばれています)もいらっしゃいますが、全人類が可能なわけではありません。


つまり、今の私の考えではYOGA哲学はどうしても整合性が取れないのです。
ということで、ひねくれた私はYOGA哲学を疑っていて、その不完全さも含めて好きなのです。



何かを語る上で気をつけたいこと

さて、今回は「YOGA哲学も色眼鏡をかけてるんじゃね?」という記事を書いてきました。
この記事をお読みの方の多くはヨガインストラクターではなく、クラスでYOGAを体験したり、日々のコンディショニングで利用していたり、もしくはただの私のファンであったりと思います。
そのため、そこまでガッツリとYOGAを生活に落とし込んで実践しているわけではないと思いますが、繰り返しですが私はYOGA哲学を否定しているわけではありません。


ただ、何かを語る時に人はほとんどの場合、色眼鏡をかけた思考と言葉で語ります。


良いとか悪いとか、好きとか嫌いとか、正義とか悪とか、それは全てあなたの経験や時代から影響されてつながれた思考と言葉です。
大量殺人犯だって戦争の時代では英雄にもなり得ます。


そのため、何かを語る時に「私は〜」とか「〜だと私は思う」とか「〇〇ではこう考えていて〜」と言える人は素敵だし大人だな、と個人的には思いますし、好きです(これも色眼鏡)。
ただ、色眼鏡をはずした視点もまた大事だとは思います(これも色眼鏡)。

少なくとも平和にはなると思いますし。
少なくとも平和にはなると思いますし。


まぁいろいろぐるぐる巡って、人生なんてものは目的に沿って成長できたら良いんじゃないでしょうか。
価値とか達成感とか成長って、誰かと比較して得られるものじゃあないと思うので。


人生哲学も他人と違ったって良いじゃない(最後まで色眼鏡)。


本日の一曲:欅坂46/黒い羊





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